負け方の美学(20060301)今年は4年に一度の冬季五輪の年、今年はイタリア・トリノで大会がありました。 正直あまり興味はなかったのですが、日本のマスコミなどでの事前のメダル数への 過大評価などは相変わらずの部分もあり、 「オリンピックは参加することに意義がある」のような建前論が残る中であっても 日本のメダル数は‥、みたいなものが連日大々的に報道されるとこなどは、 毎年ちょうどこの季節恒例の受験戦争の結末にも通じるところを感じてしまいます。 (大学なんて‥といいつつ、有名大学に入りたい、入れさせたい、というアタリ) 今年の五輪は序盤から日本はメダルが獲れず、大誤算?の中で大会が進みましたが、 その中で注目されてきたのが 女子カーリングチーム です。 カーリングは国内最強の(クラブ?)チームメンバーがそのまま代表になるようで、 今回は青森県の「 チーム青森 」が代表として出場していました。 私がカーリングの放送をみたのは対カナダ戦。 ちょうどNHKが丁寧な解説とともに試合を最初から通しで放送をしていたのと、 また「チーム青森」という若いチームが非常に好調になってきた試合でもあって、 その後世界の強豪(しかも年齢差もかなりあるベテラン集団)を相手に互角の戦いを しているあたりで日本中にカーリングブームとも呼べる大旋風を巻き起こしたのだろう と思います(事実私もこの期間に沢山ルールなどの勉強をさせていただきました)。 さて、この「チーム青森」 ソルトレイク五輪の時の日本女子カーリング代表チームは、 彼女たちが中学時代に気心の知れた仲間で結成した女子チーム「シムソンズ」が そのまま五輪代表となって出て行っていたのでした。しかし世界の強豪相手には なかなか思うような試合ができないところにもって、その試合の休憩中の会話が 胸元に装着しているマイク(必ずつけている)から国内のメディアで放送されて しまって、しかもその内容がかなり試合に関係ないむしろ試合を投げているような 感じのものでもあったことで皆から非難を浴びたのです。 当時の真相は良くわかりませんが、20歳過ぎくらいの見た目も可愛い女の子集団の 女子チームだったしマスコミもここぞと格好のネタにしたことは容易に想像できます。 (ちなみにその会話を放送で流したのはTBSです) 「シムソンズ」は五輪後に解散してしまいましたが、それで満足できなかった 小野寺選手と林選手が青森のカーリング施設に招聘されて、そこで嘱託職員として 働きながら新しいチームを作ってついに今回の五輪に代表として出場するまでになった というのはあまりにもドラマティックでまるで小説のような実話です。 いまや日本中から絶賛の彼女たちですが、そのトリノへの想いが、ソルトレイクでの ふがいない自分たちの戦いぶりと、納得できない想いからだったとすれば、 これまでの4年間の日々は壮絶なものがあったと思うことしきりです。 ▽ ところで、日本にカーリングブームを巻き起こすほどの活躍をした彼女たちですが、 では予選を突破できたのかといえばそうではありません。彼女たちは4勝5敗で 結局は予選敗退したのです。ソルトレイクの時には2勝7敗での予選敗退でした。 なぜ前回はあれほどに皆から非難をされてしまい、今回は一転大絶賛になっているので しょうか?その違いの中には微妙な視聴者心理があると思います。 前回の代表チームは皆が23歳程度の同世代で、また世界の強豪たちとの10年以上の キャリアの壁に阻まれて、途中で戦意を喪失してしまっていた感がありました。 結果投げやりな部分が(休憩時間の会話といえども)試合中にでてしまい、 またその部分だけを面白おかしくマスコミに流されてしまった感じがありました。 世論はマスコミの情報操作を受けやすいものですから、彼女らのそれまでの努力や 実績などまったくお構いナシに五輪試合中の態度を非難していたのでしょう。 実は今大会でも予選リーグ前半戦ではほとんど前五輪と同じような展開がありました。 スキップだった小野寺選手のショットが決まらずになかなか勝ちがとれなかった事です。 前回のソルトレイクの二の舞になる可能性もあったのでその時のことを知る 小野寺選手も林選手も精神的にさぞ大変だったことと思います。 休息、中1日を置いたあとのカナダ戦でチーム青森は攻撃型に転じ大きく変わりました。 強豪カナダと非常に白熱した試合を展開し勝利したのです。 ちょうど私も見ていましたが、ここぞというとこでの小野寺選手のショットが冴え渡り、 見ていて気持ちのいいものでした。また、ちょうどNHKのアナウンサーが担当していて また解説者が非常に丁寧だったこともあって、ルールから戦略までわかりやすく説明を してくれていた回でもありました。 日本で皆がカーリングの快進撃に注目しだしたのもこの頃からです。 おしりも予選リーグは日本が予選突破できるかの瀬戸際に立たされていました。 それからの土壇場状態での快進撃には非常にみていて心に来るものがありました。 小野寺選手、林選手の、ソルトレイクでの心残りのプレーの話を知り、また その後の4年間での新チーム結成までの苦労話を知りますます応援したくなりました。 それでも結局は予選敗退となるのですが、たとえ結果として同じ負けでも 見ている聴衆の心を掴むことはあるものなのだと感じました。 今回も平均年齢では非常に若いチームではありますが、ソルトレイク五輪を経験した 小野寺選手、林選手がいることが、そして五輪での気持ちをどう持つべきかを知る この2人がいたからこそ、このチームに変な甘えを許さない規律をもたらしていた のだろうと思われます。 そしてその中で自分たちのプレーを最大限に発揮することこそ、 一瞬のきらめきを放ち、それらを感じて皆は感動をするものなのかなと思います。 もちろん、それが対戦成績(結果)に結びつけば最高なことなのでしょう。 ▽ でも逆の場合もあります。どうやら 「勝てば官軍」ですが、負けたときには‥叩かれる人、そうでない人、がいるようです。 今回のトリノ五輪大会でも、まさにソルトレイク大会の女子カーリングチームのような 状況に置かれる可能性のあるのが、フィギュアスケートの安藤美姫選手です。 安藤選手の場合、前評判が(なぜか)高く、世界の女子で唯一4回転ジャンプが飛べる ということで話題になっていましたが、本人はどうやら始終本調子ではなかったようで、 4回転どころか、3回転ジャンプすらおぼつかないプログラム内容で終わりました。 本人は五輪の晴れ舞台で「4回転」にチャレンジできたことにいたく満足をしている ようですが、周りの評判はすこぶるよろしくありません。私はその理由を次のように 推測しています。 もし安藤選手が五輪で4回転ジャンプを成功させれば、 例えその他の部分のプログラム内容がどんなに不出来でよくなくても(順位が最低でも)、 「安藤美姫は五輪女子フィギュアで初めて4回転を成功させた選手」 として名前が残ります。 例え、そのあとボロボロになってまともな演技ができなくなっていても‥です。 安藤選手のフリーの演技のその後の内容をみていると、演技全体のことなど考えず、 ただこの一点の名誉だけを狙った感がみえます。 普通はそのような栄誉への挑戦は演技が秀でていて、優勝圏内に入るだけの 技量を持った選手にのみ許されることなのではないでしょうか? どこにもそうかいてなくても、一流選手間での一種の暗黙のルール (スポーツマンシップと呼ばれるものかも知れません)が存在するかなとも思うのです。 4回転ジャンプさえ飛べば、得点が伸びただろうという人がいるかもしれません。 でも4回転に失敗した後の安藤選手のすべりはそれを証明できてはいませんでした。 むしろ、4回転にチャレンジするに相応しくない、能力がないおこがましい選手として 世界各国の目に映ってしまった感じがありました。これは非常に本人にマイナスです。 安藤選手が‥というよりも、周りの雰囲気がそうさせてしまったのだろうと思います。 そこにしか自分の存在価値が見出せなくなくなってしまった結果なのかもしれません。 同様なチャレンジは、女子ハーフパイプでの今井メロ選手にも見られていました。 こちらも残念ながら序盤で失敗してしまい、演技を継続することはできませんでした。 ともに世界の中で自分の実力を悟ってその中でどう処理するかの問題だったと感じます。 ▽ カーリング女子の小野寺選手と林選手は4年前の五輪でまさにその渦中にありました。 そしてそこから己を磨いて這い上がって、今回のトリノ五輪では自分の本当の姿を アピールできたのだと思います。今回の大会では結果としては試合に負けたとしても、 小野寺選手たちは4年前の自分自身には勝てていたのだろうと思います。 そして私たちはその負ける姿に惜しみない賞賛を送っているのです。 これは負けるにしてもどのようにすべきかの心構えの話です。 どのように負けるのが他人の目には心地よいのか、 自分自身に対しても、周りの人に対しても、そして戦ってくれた相手に対しても 潔くてすがすがしいものにできるかの、いわば「負け方の美学」だと思うのです。 安藤選手も非常に若くいまその気持ちをコントロールするのは難しいのかもしれません。 特に負けるときの選手の心理にはその心中余りあるものがあります。 ソルトレイクのカーリングチームのように自暴自棄に考えてしまう事もありましょうし、 今回の安藤選手のように一発狙いで名前だけ残せればとも考えるかもしれません。 でも世界中の聴衆の見ている前でのことですから、 その負けの演技・試合の中でもスポーツマンシップはあって、 そこでやることといえば、結局は自分の全力を出すことだけなのかなとも思います。 ▽ さてこれは五輪やスポーツ選手の話だけではないとも思います。 人生において、勝ち続ける人はどこにもいません。 私たちがいろいろな場面でどのように負けるかはとても重要です。 いつも周りの人が見ている、自分の人生のステージの上で、どのように敗北するか。 この「負け方」にこそ美学が必要で、この練習を私たちはもっと日頃から訓練して おく必要があるとも感じるのです。 |